矢板市長・齋藤淳一郎の真の姿

名誉毀損免責基準の刑法230条の2を順守し真実の記録を残すアーカイブ

詭弁を弄する人間は、必ず我欲を優先する!

何故、人は嘘をつくのでしょう?中には優しい嘘も、許される嘘もあるでしょう。

でも嘘の殆どは身勝手なものです。自らの失敗や過ちを誤魔化すため。地位や権力や財力などを守るための醜い自己保身だけの為にも、人は嘘をつきます。

また、自分が望むものを得るための打算でも嘘をつくし、妬みや僻み、そねみからも嘘をつきます。つまり、それらは元を正せば『我欲』に他なりません。

そして、これら保身や打算、すなわち我欲を悟らせないためにつく嘘を『詭弁』と言います。詭弁は自分のためにつく嘘であり、方便は誰かを慮ってつく優しい嘘です。

 

フェイクニュースはネットだけではなく、何が本当で何が嘘かなんてのは、正直、そうそう見抜けるものばかりでないのが人間社会の難しさです。

よくとんでもない事件が起きた時、あぁ、いかにもと、あいつはいつかやりそうだったと思われる犯罪者もいるけれど、いやー普段全然そんな、挨拶もするし、真面目だし、本当そんなことするなんて信じられません。なんてこともよくある話です。

 

人間の本質なんてものは特別な状況にならないとなかなか分からないものです。まして利害関係にあるものに対しては当然ながら悪い面なんて出さないのが普通ですし、自分が見えているものだけが全てではないというのが基本でしょう。

何が本当か見えない時代にあって、例えば卒業式の挨拶で「立派な大人になってください」などと言うけれど、実際の世の中はどれだけ汚いか。狡い大人が溢れているか。世の中には善人面した悪人がごまんといます。

 

そう、だから、綺麗事だけでは済まないのが世の中だと割り切って諦めるのか。

或いは、騙される側から騙す側へ、搾取される側から搾取する側へ、狡くなることを肯定してしまうのか。

オレオレ詐欺のような特殊詐欺に手を染めてしまう若者が跡を絶たないのは、まさにこうした負の連鎖の結果に他なりません。

 

必ずしも法を犯し『嘘』を肯定したものだけが、負の連鎖を紡ぐのではありません。法は犯していなくても『嘘』を是認、或いは見過ごすことも同様です。

物事を打算で考える人間は手段を選ばず、目的のためならグレーゾーンでも捕まりさえしなければと考え、やがては明らかな犯罪にすら手を染めても見つかりさえしなければとの考えに至りがちです。

負の連鎖を断ち切るには、自らを律するのは勿論、社会の嘘を看過しないこと。選挙においては即ち、より大きな『嘘』を認めないことです。

 

何故なら、我欲を隠して詭弁を弄する人間は、例え地域や社会を思う気持ちがあろうとも、状況次第で、必ず『我欲』を優先させる場面が出てくるからです。